遠距離M女ですが、何か?
井原りり



 M女がM女を飼う理由


彼女は「犬」である〜2〜


毎回「犬」呼ばわりは霊長類ヒト科の♀に対して失礼というもの。

で「K」と呼ぼう。

『吾輩は猫である』に続き『こころ』かよ。
やっぱり夏目漱石は偉大。



「K」はかなり前からの熱心な読者さまの一人でよく感想のメールをもらったりしていた。

はぐれた飼い主が、わたしと同じ県に住んでおられたことも親しみの因であった由。

別れがどんなに寂しかろうと「さびしい」とはいわずに耐えるM女。
想像力があれば、こころの中は読み取れる。

はたでその様子を見ていていじらしいと思えば「うちで飼われてみないか」と声を掛けてもばちはあたるまい。


もう、随分まえのことになるが、いはらから「スキルアップになるからM女を管理してごらんよ」とはいわれたことがある。

その時、まわりにいたのは「相方はやっぱり殿方でないと……」というM女のみなさまで実現にはいたらなかったんだった。



2002年09月27日(金)



 一時的S化計画


彼女は「犬」である〜3〜


「K」をわたしが飼うということは、「K」に対してだけ、わたしは一時的にS化するということだ。

S的要素、M的要素というのは配分には個人差があるが、誰でも両方持っているはずだ。

わたしの場合は……、まあ、仕事してる時のあたししか知らない人からは鬼のような女王様みたいに思われているのかもしれないが、中身はずぶずぶのMである。


いいんだ、ほんとのわたしのことはいはらと夫だけが知ってさえいれば……。

Sではないんだが、Sもできますよっていう感じだ。
当然、「K」にも実際に会ってプレイするつもりでいた。
本格的ではないものの、お道具も少しは持っている。
向こうもそのつもりでOKしたはず。


わたしは同性愛者ではないので、女に恋心は抱かない。
でも、レズプレイにまったく興味がないわけではない。
やってもみたいし、やられてもみたいってところだ。

オトコとイタしちゃったら裏切りモノ。
いはらの指示をうけて、同性とならば、2年前の思いつき(?)@失礼! を忘れずに実行に移した忠義モノ。


「ご主人さま」と別れた「K」は戸籍上の「ご主人」の厳しい監視下におかれていたが、同性の友人にならガードも、きっと甘いはず……と踏んだのだ。
実はこの読み自体が「甘かった」のだが、それについては書く必要はない。

つまりこの関係は、いはらに管理されてるわたしが「K」を管理することにはなるわけで、三角関係ではなく、直線の上下関係であったはず。

まあ、「わたしのものはいはらのもの」だから、そのうちいはらが「K」を直轄管理下に置くようになるかもな、とは思っていた。



2002年09月28日(土)



 所詮は、おんな


彼女は「犬」である〜4〜


いはらが妻とわたしとの共通点をあげたりすると、奴隷の分際で何をかいはんや、ではあるのだが、にんまりとしてしまう。


「K」とわたしもよく似ていると、いはらはいった。

ふうん。
そうなのか。

なんというか、あまりいい気分ではなかった。


いはらとわたしは前世の兄妹で、お互い今世では「ひとりっ子」なのだが、「K」もまた兄弟姉妹がいないひとりっ子だと聞いた時にはちょっと悔やしかった。

「おいおい。お前まで、なんでだよ」と、実は思っていたのである。

このことは今まで彼女には一切言わないで黙っていた。


「りりさんが、ご気分を害してはおられないかと、気がかりです」と気遣ってくれたメールの返信にも「全然、だいじょうぶですから、どうぞこの関係を楽しんでくださいな」と打ったはずだ。

女なんて、こんなもんかもしれん。




2002年09月29日(日)



 M女の餌


彼女は「犬」である〜5〜


いはらが構築する世界の中で彼が切り結ぶ人間関係に関して、わたしは一切の嫉妬を禁じられている。

「りりが嫉妬して、どうするよ」

何度いわれたことか。


大事なことは、ここが誰のためにあるか、ということ。


いはらの歓楽のため。
いはらにとって愉しいことが何よりも優先されるということ。

そのために「K」がいて、わたしもいる、ということ。


M女の感情論はどこか他で、しかもいはらには一切関係なく、やってくれってことだ。
そんな感情論は捨ててしまえば、一番すっきりする。


だから、捨てた。


捨てきれないものだけが、ココロの中に残った。

名付けようのない、ひりひりした熱い痛みだけが、ココロの中に残った。




M女の餌は「傷」と「痛み」。

いはらはちゃんと餌付けをして、あたしを飼い続ける。






2002年09月30日(月)



 頭脳系のSM


彼女は「犬」である〜6〜


最初は「K」から毎日「今日の課題はこれこれで、今から報告する」といったメールが来ていたが、そのうちそれがなくなっていく。

ああ、もう二人は直でやりとりしてるんだな。


いはらの命令は短い。
むしろそっけない。

世間で流通しているような独特でミョーにいやらしいくせに全然官能からはかけ離れている「ご主人様コトバ」など、一切使わない。

でも脳天に届いてカラダを揺さぶる。

あたしたちが「頭脳系のSM」を標榜するゆえんはここにある。



「K」がどんなに前の飼い主に入れ込んでいたかを知っているので、よもやいはらに「コロっと参って」しまうようなことはあるまい、とわたしは自分に言い聞かせる。


いはらは自分に引き寄せられるMを「患者」とよく呼ぶ。
医者の思惑に関係なく、患者は医者に「コロっと参って」しまいがち。




そう。

「言い聞かせ」ていなきゃいけないくらい、あたしのココロの中に疑惑は芽生えつつあった。
アタマじゃわかってたって、感情は噴き出して来てしまう。



いはらにその気がないってことは、わかる。

でも「K」がその気になっちゃったら、あたしはどうすればいい?




嫉妬しちゃいけないってことは、すべて一切なんの口出しもできないってことじゃんか。

「オトコなんてわかったもんじゃないわよ。口先だけでなら、なんとでも云えるんだから……」とひとはいう。



いはらがいうように、わたしら奴隷姉妹が「よく似ている」なら、あたしがそうであったように「K」がいはらに逢いたいと願うのはごく自然ななりゆきじゃないのか。


「K」がいはらに逢いたいって言い出したら、あたしはいったい、どうすればいいんだろう?




2002年10月01日(火)



 怖れていたこと

彼女は「犬」である〜7〜


8月下旬、家族全員の遅いお盆休みがわずか1日だけとれる>なんて家だ。

電車で30分の県庁所在地にあるちょいと高級なホテルで、ぼけーっと夏休みの一日を消費したあと、眠る前にZaurusでメールチェック。

「K」からのメールを読んだわたしはベッドの上で固まってしまった。


再度受信トレイを開けて確認したりすると、アタマが痛くなりそうだから、引用などはしないが、だいたいこういう文面だったように思う。(抜粋)


>実際のプレイに対しての誘惑に抗えないと、いはらにメールを送ったところ、その返事はりりからもらうようにとのことだった。

>りりから返事が来たら、いはらに転送することになっているそうだ。


おい。どうする!
もう、来たよ。
来ちゃったよ。


うわーっと叫び出したいところだが、家族旅行(?)の最中だ。


どうするどうするどうするどうするどうしたらいいんだあああああ。


がたがたがたがたふるへだしてもうものがいへませんでした。(宮澤賢治『注文の多い料理店』より)


やっとの思いで、まずはいはらに宛ててなるべく短かめにメールを書いた。

>ついに、おそれていたものが来ました。

なんちゅうむちゃくちゃな書き出しだ! と今なら言える。
相当に動揺していたんだな。


とにかく、わたしでさえ滅多には逢えないいはらとプレイしたいだなんて、とんでもないことを言い出したものですね、みたいなことを書いてしまったわけだ。



翌朝、いつもは昼近くまで寝ている夫が早朝から目を覚まし、窓枠のでっぱりに座って(「あいれん」さんが正座してたりする窓のところです)眼下の街並みや駅のプラットホーム、線路を行き交ういろんな電車たちを飽かず眺めている。

実在の列車たちがまるでNゲージサイズに見下ろせるのだ。
本物なのに、Nゲージ! だなんて。

これにはハマる。

もしもまた高校生になれたなら、今度は鉄道研究会に入るのもいいな、と思うくらいだ。


そうこうするうち、いはらから着信。
メールじゃなくて、着信?! あ、すぐ切れた。


「着信でしたか?」とメールする。
「です。話すか?」
「家族旅行中でホテルにいます。このままお願いします」


わたしの返信には誤解があるらしい。

「K」はいはらとプレイしたいとは言っていない、という。


そんな……。
だって……。


ただリアルなプレイをしたがる自分=「K」を、われわれがどう見るか、と聞いているだけなのだそうだ。

そんな、バカな?


いはらと「K」の間では、逢う会わないという話題すら上がってはいない、という。

そりゃあ今まではそうだったかもしれないが、りりさえ許すなら、これからその話を進めて行きたい、ということじゃないのか?

メールをぷちぷち打つのもまどろっこしい。


いはらのいらいらが、怖いくらいに伝わってくる。


「最近、浮わついてないか?」
「何が順番か。何が一番大事なのか。よく考えよ」


どうしてわたしが「浮わついて」いるなんていわれなきゃならないんだ。
それは理不尽というものだ。

こんなにも、苦しいのに……。
泣くことさえできないのに……。


いはらも仕事が始まったとみえて、メールのやりとり@朝の部 は、ここで途切れた。






2002年10月02日(水)



 悪い夢


彼女は「犬」である〜8〜



暗い部屋のすみで、わたしはしくしく泣いている。

雨音が聞こえる。

しゅるしゅるしゅるっと、縄がこすれる音がする。


「泣いてないで、ちゃんと見て……」


いはらの声がする。

陶酔したような、呆けたような、とにかく尋常じゃない様子の女がいはらと一緒にいる。

縛られて、嬲られて、イっちゃってる……「K」がそこにいる。



悪い夢だ。



ずっとこんな妄想がアタマから離れない。
もうアタマぐるぐるで、何にも考えたくない。

でも返事を出さなきゃいけない。

めったなことは書けない。転送されちゃうからな。

「K」はいったい誰とコトに及ぼうというのか?
いはらとか?
それとも誰か別のお相手をまた探すのか?


「K」がいはらに、コロっと参っちゃう日がいつか来るとしても、ちいとばかし早すぎやしないか?
このわたしだって3ケ月かかったのに……。


いっそ直接きいてみようか?
いはらにはゼッタイ転送しないでねって念を押して「誰とプレイしたいの? いはら? それとも別の人?」って。

この答え次第で返信の内容は逆になるからな。
そこが一番知りたいのに、そんなこと聞いたら飼い主の威厳はまるつぶれだ。

聞けない。
聞いちゃいけないよ、そんなこと。
転送しないでね、なんて言ったっていつかばれる。

ばれて困るようなら最初からするな、だ。


もしも相手がいはらじゃないっていうのなら、もう何だってやっちゃって、どんなに破廉恥な行為だろうが、どんなに淫らな痴態だろうが、どんどんさらしちゃってもうイクところまで、落ちるところまでとことんヤリ尽くしてくれてかまわないって煽って……。


でも、いいのか? 
奥さん、それでほんとにいいの? 
無責任ながら少し不安にもなったりして……。


問題はいはらが対象だった場合だ。

いはらから誘うようなことはないから、いはらが「K」の誘いに応じるかどうかも気になるのだが、それは次の段階だからさておくとして、相手がいはらならば、だ。


1 ゼッタイに許さない

2 内緒でやって

3 あたしもまぜて


あああ、情けない。
この3つしか思い浮かばない。
ばっかみたいでくだらない。
でも何度自分に問い掛けても、こんな答えしか出てこない。

悪い夢が、ぐるぐるアタマをかけめぐる。


もしも、いはらから「返事かけたか?」って聞かれた時、この3つを見せたらもう減点もいいところだな。

なんで減点されるとわかっているような答えしか思い浮かばないんだ?

あまりにも通俗だ。


今、思うと、もっと冷静に朝のメールの内容を分析すれば、なんとなく答えは見えていたようにも思う。

あの時はダメダ〜メで、ぐるぐるだった。



あたし抜きで二人が会うようなことになったら、「K」の自宅に電話して夫に密告しかねないくらいに、あたしはフツーの女の感情でしか、モノを考えられなくなっていた。



チェックアウト後、夫は出勤し、わたしは子どもたちとイルカを見に行った。


夕刻。
「で、どうよ」
あ、いはらだ。


どうよって……。





2002年10月03日(木)
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