遠距離M女ですが、何か?

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超割
2002年2月12日(火) 晴れ

どうも毎月あるようだ。

って2か月も先のことなんて予測できねえって。

殿様とバレリーナ
2002年2月12日(月)

車検を受けた。

ディーラーで出されたまずいコーヒーを飲んでいる間にすんでしまう。
加賀まりこが宣伝している、あれだ。

待ち時間に『和楽』なるゴージャスな雑誌を読んだ。

この『和楽』なる月刊誌。本屋の店頭では買えない。定期購読のみの偉そうな豪華誌だ。
おそらく開業医の妻あたりを購買層に設定してないか? いうなれば家庭画報の和モノ強化版。本屋のレジ付近に見本は置いてあるはず。

でだ。
「節子夫人のバルテュス追想」という連載がいい。

画家バルテュスの妻が日本人だとは知らず。ま、一つ覚えたさ。
節子夫人は、うーんとね、女優でいうと藤村志保(誰も知らない?)をふっくらと親しみやすくした感じの人。

毎回、彼女が自前のお着物に袖を通し(談)で原稿はまとめられている。
12月号は紬。1月号は若草色の色留袖。2月号は大島。

着付けのスタイリストが着せたのではけしてない、自然な着方がとてもよい。
往々にして着付けを他人にお願いするということがあるが、ううむ、どうなんだ、あれってばよ。

結婚式で仲人をするとか、葬式で喪主を務める場合など、大勢の人目にさらされる場合や、はたまた演歌歌手なんかはしょうがないかなあとも思う。
でもさあ、そもそも昔はみいんな毎日キモノを着て日常生活をしておったのだ。

子どもに乳をやるときには胸をはだけ、愛を求められれば裾をまくって、紐で縛って、帯をほどいて、また締めて、生きて死んで生まれ変わってきたのだ。

美容師や着付け師に頼むと確かにきっちりすっきり着崩れしないでいられるが、どうもあの一分の隙もないというか、いささかも乱れてない襟元やいささか粋にすぎる襟の抜き加減にあたしゃ違和感を覚えてしかたないさ。

それはさておき、お殿様ってやーらしー、の巻。

政界から完全撤退し隠遁生活つーか、ろくろ三昧の日々を送っているという細川護煕。
『和楽』1月号では草刈民代との対談が収録されていた。

建築探偵団総動員でこしらええた御自慢の銅の外壁のアトリエ。
天窓から柔らかい日が射し込むろくろのある部屋。

草刈民代は正面より横顔が美しい。やっぱバレリーナってそうだよな。後頭部ゼッペキではプリマドンナは到底無理。

見開きの大きなモノクロ写真に息を呑んだ。
お互い茶碗を持ったまま、じいっと凝視しあう殿様とバレリーナ。

「こいつらデキてんじゃねーの?」っていうくらい濃密な関係の気配が逆光のモノクロ写真の中に漂う。

細川は「やらしてくれよ」と眼で云う。
「いけません。だめですわ」と応えはするものの、表情では承諾している草刈。

服着て、向かいあって座ってるだけなのに、すっごいいやらしい写真を見て、久々にぞくぞくした。
カメラ誰さ?

もしどこかで『和楽』の1月号を見かけたら、ぜひご覧になってください。

ついでに写真家の名前をメールで教えてくださいな。
だって「車検できましたよ」ってディーラーのお兄さんが請求書持って横に立ってるんで見そびれたの。

発芽する歓び
2002年2月13日(水)

去年の誕生日にいはらがくれたチューリップの鉢植えのことを、読者諸兄姉は覚えておいでだろうか?

春爛漫になるころにはもうすっかり枯れて花は摘み取り、地中に球根だけを残したままにした。
本当はここで、球根を掘り出して冷暗所に保存するのがよいと聞いた。
が、まあ、そもそもガーデニングには何の関心もないマンション住まい。
明るい場所ではあるが、日光は当たらないわずかばかりの坪庭に植木鉢を置き、月に2回液体肥料をちゅうちゅうとかけて、放置してあった。
液肥も秋を過ぎたら、きちんと与えた記憶がない。

季節と植物というのは正直なもので、なんとちゃんときちんと2月半ばを過ぎて発芽したんである。
庭いじりにはまる人というのは、この植物の無口にして礼儀正しい律儀さを愛するのかもしれん。あたしにゃ、いまいちハマるって感じじゃあないんだけど……。

そうだ……。

はるかむかしの二十歳の誕生日に医学生がくれたジャスミンをあたしは枯らしてしまって復活させられないまま、医学生とも別れた苦い記憶がよみがえる。

あたしたちは童貞と処女のまま、別れてしまった。

ほんとうに大好きだった人とはいつも、最後までヤってはいない。

いはらはあたしの中で射精しなかったけど、それはこの系譜につらなろうという配慮なのかもしれない。
いや、しかし「この系譜」っていわれたって迷惑だわな。

夫子眷属
2002年2月14日(木)

妻子眷属とはいうが、「夫子」眷属とはいわない。

いかに遠距離M女といえど、家族もあれば、生活もある。
修羅場はないが、な。

* * * * * * * *

老親の世話もせねばならんのだ。

老母はこれで入院3週間が過ぎた。
MRSAで個室に隔離されている。

ばあさんは風呂に入る気力もない。

本当は入りたいんだろうが極端な寒がりのため、自宅にいるときでさえ湯温の高い銭湯にしか入らなかった。
とうぜん、連れていって背中を流してやっていた。

看護婦は不衛生になるから、シモの清拭くらいさせろ、と見上げた配慮の塊。
ありがたいことだ。

だが、うちのばあさんが他人にそんなことをさせるわ〜けがない。
と、思う。

みかねてわたしが風呂につきあってやる。今日は主治医から湯船に浸かってはならんといわれたので介護椅子にすわらせてシャンプー。

入院する前は27,8kgの痩躯。
入院してからさらに骨ばってきた。背中では肩甲骨より何本かの筋の方がよほど目立つ。脂肪はどこにもない。筋肉はどこにある?

ばあさんは自分の股間を指差し、湯をかけろ、と云う。
かけてやると、ごしごしとそこをこすった。
もう何ヶ月もまともに洗ってないんだもんな。

母の股間。
どうも、まともにそこを見られない。
自分が出てきたところなのに。
あ、ちゃう。あたしは帝王切開で生まれたんだ。

早くしないと体力がもたない。
あせる。
脱衣場で足から拭いてやる。股間からは目をそらす。どうしても。
皮だけで覆われた2本の大腿骨のあいだの暗闇。

退院できるんだろうか?
しかし退院したら、ここ、介護日記になるんだろうか?

老母買う町あらずやつばめよ
2002年2月14日(木)

大工町米町寺町仏町

今、母親の病院にいる。

日当たり良好なのにカーテンをぴったりと閉ざし外はまったく見えない。
外を見ようという気にはならないらしい。

今さら長生きしてほしいとは思っていない。
親に感謝してはいるが、それとこれとは別問題だ。

生活
2002年2月14日(木)

モバイラーなので
塾の前で
子どものおむかえだったりもするのだ。

バレンタイン
2002年2月15日(金)

いはらと知り合って2年だが、初めてバレンタインの贈り物をした。
モノを送るルートというか、まあ、そういうものが出来たからだけど。

事務的な茶封筒(できれば、どこのものでもいいから法人名の印刷された未使用のもの)に入れ、PCで打ち出した宛名シールを貼り会社に送ればいいのだ。

クリスマスの贈り物なども、ネット通販を利用すれば業者から直接いはらの会社にブツが届き、請求書はわたしの家に来る。
いはらのところに届いた封筒にはわたしの名前は一切書かれてない。

かねがねチョコレートも乳製品も国産が一番おいしいと思っている。
でもなんか最初だしなあって思ってOL御用達の某有名【G……】のチョコにしちゃいましたさ。
そのほかに最近書いた原稿の掲載誌とかね。同人誌とかね。

迷惑かも? と思いつつ、一応さ、書いて活字になったものは読んでもらいたいので……。

でも、まだ届いてはいない。さすが第二地帯。

悪かったね、遠距離で。

2002年2月15日(金)

今、ここで母がいなくなっても誰も困らない。

困るとすれば、信心深い母があれこれ寄進してやまない所属寺院の住職だろう。
月々の行事に必要なもの、たとえば今月なら節分の豆まき用の大豆はうちの母がイトピーに発注して、わざわざ袋に鬼の絵のついていないものを……と指定して寺に届けている。

母がいなくなったら講中の誰がここまでの配慮と信仰心で寄進するだろうか。
どうもあの顔ぶれではこころもとないぞ。

二ヶ月に一度振り込まれる国民年金と父の遺族年金だけが母の収入なのだが、自分の生活費はぎりぎりまで切りつめて、どんどこどんどこ「御供養」とやらにつぎこむのだ。
年金の管理はわたしにまかされているが、当然それだけでは足りないから、わたしの収入まで足して月々の生活費を渡してやっている。

「御供養」と称してあれこれと寺院に貢いでいるだけのようだが、本人はもうそのために生きている状態。いきがいというより生きることのすべてが信仰中心になってしまっている。

カレンダーとは親類縁者の命日を中心として構成されている。
ちがうな、親類縁者は俗。俗なるものは位が低い。
聖なる宗祖の誕生日だ、命日だ、復活した日だ、立宗記念日だ。
もう数限りない要チェック日が毎月アタマの中をぎっしり埋めつくしている。

「ねえ、あの、あのさ……」と母がわたしに話しかけるのはすべてこの寺の行事の打ちあわせばかりだ。
わたしたちは一般的な世間話もしなければ、他人の噂話などもってのほかという価値観の中にいる。

もう、うんざりだ。

が、どうしようもない。わたしは反発ひとつせず黙って母に付き合う。
これがわたしの親孝行。
わたしに信仰心があるわけでもなんでもなく、ただの親孝行。

勝負
2002年2月16日(土)

子どもが今度入る学校の入学説明会。

あたしのモバイルツールはこのザウルスとHP200LXそれにpalm VISOR platinum。

親のおつきあいというものをしないので、ぷちぷち日記を打っている。

附属学校だから何だっていうんだか。
150人くらいの……ほとんど母親なんだけど……ざわざわざわざわ。

去年の秋ごろに書いたんだが、人生の勝ち組・負け組のことだ。

おまえら、勝ち組にいるつもりだろ。
わかんないぞ、そんなこと。

勝ち組に入っている「つもり」だけじゃだめだ。
自分が今勝ってるぞ! って思えなきゃだめだ。

おまえら、まわりが気になるだろ?
他人の着ている服が、持ってるかばんが、よそんちのガキの出来不出来が……気になって気になってしかたないんだろ?
亭主の収入が、実家の財力が、自分ちのガキの出来不出来が……他人からどう見られてるか心配なんだろ?

まだまだ、だね。

GODIVA
2002年2月16日(土) 晴れ

うひゃー、ウケました。

喜んでもらいました。

わたしも、うれしいです。
光栄至極に存じますってもんだ。

うっひゃー、わーい。

今年の本命は「手作り」だったそうだ。
出来不出来よりかけた手間隙と金額が、GODIVAなんかよりうんと高くついてるはずなんだそうだ。

ま、未婚のムスメじゃあないんで、出来合いのものを買って贈るんだけどさ。
確かにGODIVAを義理チョコなんかにはしないもんね。

予想以上にウケたので、思わず読者の皆さまにもご報告申し上げてしまいました。

で、どんな味なんだろう?
1ケ300円の球形チョコってさ。

仏壇
2002年2月17日(日) 雨

休日は子どもがまつわりついて離れない。

母の入院先には当然、幼児をつれていくことはできない。

もう一つ、実家の仏壇に水や仏飯を供えたりということが出来ない。

本人は入院しちゃってるんだから、ほったらかしでいいじゃないか、と思う。
毎日そう思う。

だが、これをさぼると何だかバレそうなんだよ。

ああもう、めんどくさいしうんざり。
今日はもう実家には行かない。

寒いし、雨だし。

今は二月
2002年2月19日(火) 雪

たったそれだけ

『浅き春に寄せて』立原道造

青い詩だが、好きだよ。

おやすみなさい。

傷だらけ
2002年2月20日(水) 晴れ

っていうか
タイトルはすごいんだけど

インフルエンザにかかってひさびさに薬らしいクスリを飲んでからカラダじゅうがかゆくてかゆくてたまらず、こちらもぼりぼりばりばりかきむしるので、全身、傷だらけだ。

同じ傷なら、もっとエロティックな傷を負いたい。

カラバッジョ
2002年2月20日(水) 晴れ

招待券をもらって展覧会を見に行くまで、イタリアにそんな画家がいたなんて知らなかった。

展示を見た後でセミナールームという小さな会議室で常時上映中のビデオを見る。
NHKの制作かなあ。ナレーターはNHKでよく聞く声の女性アナ。
黒木あゆみ?
あたしは加賀美幸子さんの声が好き。

わずか9分のビデオなのに最後までしっかりと見られない。
そんなに眠いというわけでもないのに、眠ってしまう。
じゃあ、もっかい最初から、また寝てしまう。
じゃあ、もっかい最初から……。

何回繰り返して見たんだろう。

途中で携帯を取り出し時間の確認をする。
30分経過。
まだ9分のビデオをしっかり見ていない。

もっかい最初から……。

結局、セミナールームを出たのは1時間後。
1時間、美術館まで昼寝をしに行ったのか?

イタリアの古い街の人たちは、あの古い石の建物にまだ住んでいるの?
水道や冷暖房は20世紀になってから取り付けたの?

頭痛
2002年2月22日(金)

めったにないことなのだが、ここ二日ばかり、ひどい頭痛でくらくらしてた。
眠っても眠っても治らなかった。
たいていどんな病気もあたしは寝ちゃえば治るのに、だ。

いはらは頭痛持ちだ。
前線や低気圧が近づくとだめだとか。

いつもこんな苦しくてつらい思いをしているのか?

おいたわしい。

けど代わってあげることもできないし、それはそれ、これはこれ、だ。

おきものだもの
2002年2月23日(土) 晴れ

久しぶりに着物を着て、外出。

って、ただの飲み会なんだけど

帰りの電車の中からザウルスにて

自縄自縛
2002年2月25日(月)

着物の着付けに必要な腰紐の本数は?

わたしの場合、長襦袢には子どもの着物のように紐を縫いつけてしまったから、いらないでしょ。

で、上の着物、最初に1本、はしょってから2本め。
その上に伊達締め。帯板。帯。帯揚げ。帯締め。

腰紐だけなら2本。省略していきなり伊達締めって場合もある。

「あんたは紐が少なすぎ!」と母は言う。

確かに……。

よく覚えている。
子どもの頃、母の着付けはのろのろと時間がかかって、先によそいきの服を着せられたあたしは随分長いこと待たされたものだった。

きゅっきゅっという音やしゃらしゃらという音。
あたしは絵本を読んで時間をつぶしてたか、お人形で遊んでいたか。

母は縁側からの逆光を浴び、鏡台に向かって後ろに手を回したり、横向いたり、手鏡で髪を直したりしながらたっぷり1時間くらいかけて着物を着ていた。

むかしっから「のろのろと」っていうのがコトバが悪いなら、まあ、何事にもばか丁寧に時間かけて入念に遺漏のなきようにきっちりと支度をするばあさんだった。

で、わざと思い出さないようにしてたんだが、例の緋の長襦袢のウエストのところだけじゃなくて、乳の上下にも紐をかけるんだ。
「高手小手」の前みたいな感じさ。
それが子どもごころに、妙になまなましくってさあ。
たまんないんだよ。

そのことをなんで封印してたのか?
ばあさん本人の口から
「あんたは紐が少なすぎ、わたしはねえ、きっちり胸にも紐かけないと安心できないね」と言われて、ああ、そうだった、とそのなまなましさがよみがえったさ。

むかし、ばあさんが使っていたのは赤い綿入りの丸紐で、今はもうない。
呉服屋でも見かけない。
一体何本使ってたんだろう。
とにかく、その〜、赤い襦袢に、赤い紐でぐるぐる巻きなんだよ。

で、昨日、長襦袢を着て、縫い付けた紐のほかにも1本、胸の上で縛ってみた。
もちろん、着付のためという名目で、だ。

あああ、こりゃだめ。
感じる。
濡れてきてしまう。

普通にお出かけして人に会ってんのに、ノーブラだし、ノーパンだし、おまけに隠れたところで自縄自縛で濡らしてるなんて……。

ったくう……。
2002年2月25日(月)

誕生日だってのに、なあに恥ずかしいこと書いてんだか……。

享年
2002年2月25日(月) 晴れ

ふう、誕生日だ。
ずいぶん長い時間、生きて来たな。

三島由紀夫の享年じゃないか。

ということは、すべての三島作品はあたしの今の年齢よりも若い頃に書かれているのだ。

だからってなに?

そう、あたしは三島じゃない。

着物を着る作家……女性篇
2002年2月28日(木)

まあ、なんつうか、着物キモノと騒いでお金持ちになったことを露悪的にひけらかす林真理子。
これはこれでいずれじっくり書こう。彼女の小説はファンだし。

松本侑子、どうよ。
小説は読んでナイけど。
最近彼女はお着物の写真ばかり撮らせてる。
でもなんか嫌いだ。

女の作家ってさあ、着物を着ることで「往年の"女流"作家のようにわたしを扱いなさい」と編集者にプレッシャーかけてないかい?

忘れちゃならないのが柳美里。
ベストセラー『命』の続編『魂』の扉写真ご覧になりました?

日枝神社で撮った記念写真。写したのはTBSのディレクターだっけ?
彼女は淡い水色の付け下げで、これがけっこう似合ってるんだ。

息子を抱いた柳の母親と貧相な病人東由多加と、この4人が並んだ不思議な写真はある意味すごいわ。

本文中に書いてあったことを要約すると、彼女は自分は韓国人であるが、息子は日本人だ。自分はこれからも子どもに関した行事には日本人の母親のように、自分にとっては異国の民族衣装である着物を着る。

のだそうだ。
柳美里、また借金するんですかね? 出版社に。

着物にこだわる女の作家には往年の女流作家は含まない。
林芙美子、円地文子、幸田文、有吉佐和子……
みんな故人ですな。

現役の作家だと宮尾登美子とか、歌人の馬場あき子。
こういう上の世代の女性は着物着てて当たり前。

ん? そういえば、姥ざかりを生きる田辺聖子はいつも洋服だ。
逆にその方がめずらしい。

林真理子以下、40代30代で着物キモノと騒いでるのは他にいるかな。

騒いじゃいないが、TVに出る時、必ず着物なのが歌人の水原紫苑。
まだ若いだろ? 俵万智と比べてどうよってくらいの年まわりか?

うーん、先日、NHK教育の『趣味悠々』で仏像を見に行くシリーズに出ていたんだが、あんなにしょっちゅう着てるはずの人なのに、着付がヘタ。

でも、まあ、いいのか。
どこから見ても自分で着ましたってわかるような着方が新鮮といえば新鮮。
ってゆーか、やっぱ、水原へたすぎ。

そこいくと同じへたでも、樹木樹林のずくずくの半襟の方がさすが女優だから見栄えがいい。
こっちの出典は確か『別冊太陽』
まだ本屋にあるかな?



遠距離M女ですが、何か?

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