遠距離M女ですが、何か?
井原りり



 アナルふたたび


夫は毎週「週刊大衆」を買ってくる。

部屋に置いてあるから、わたしも見る。
アラーキーの連載『人妻エロス』も毎週読めてありがたい。
が、到底読者モデルに応募はできないな。


テレクラ漫画の成田アキラ。
今週はアナルセックスに憧れる上品なご婦人の巻だった。

やはりいらっしゃるのですね、こちらで感じられる方が。

こっちのアナでヤられたいと望んでも夫にはとても言えなくて成田に電話してくる奥さんは実在? するんだ!


そんなに気持ちイイんすか?

いやもうあの苦しさが苦しみでなく快感に思われるのであれば、わたくしは何も申しません。


ほんと漫画に出てくる奥さん、いい表情で、ここまで感じられるものなら、それはそれで、あやかりたいほどうらやましいわ。


いはらともこの件について話したことがある。
いずれその日が来るならば、わたしも覚悟を決めなくちゃならない。


嬉しいことに、というか、何というか、いはらの はサイズが尋常じゃない。

あんなふっといモノ、とてもじゃないが入らない! とわたしは思うし、いはらも、まあ、そこまでして……と言ってくれて……。


というわけで、先週書いたとたん久しぶりにロト6で1000円 GET!



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人妻エロス  




2002年11月09日(土)



 今夜もアナル

伊藤比呂美が最初の出産後に

「胎児は大きなウンコである」と断言していた。

男のペニスを入れる場所から、ペニスよりはるかに大きなモノを出す。これが快感でなくて何であろう! というのだ。

入れるだけでも気持ちがイイのだから、ー生に数回、出してみるのもよい、って。


なるほどなあ、モノは言いよう。


となると、だなー。
毎日、出している時の気持ちよさは入れる時にも感じるはず、という論法になる。


確かにイキんで、ナニをひり出すのは快感だ。

でも、アレが入ってくる時の、あの、たらっと額に脂汗がにじむような異和感は不快じゃないか?


「最初だけよ。慣れると何とも云えない快感があるのよ」そう教えてくれたM女さんもいた。



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べつに、明日死んでもおかしくないのに老後のカラダの心配までするのはバ力げてるが……。


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伊藤比呂美  




2002年11月10日(日)



 『9days』ってどうよ


友だちと、映画。
『トリプルXXX』と『9days』どっちにしようっていって、まあ、レクター博士がまともな人をやってるほうに……。


準主役の若い黒人俳優。誰だっけ?
ポストウィル・スミス狙ってない?

まあ、そんな感じ。

よくもまあ、どんな映画でもどんぱちどんどん無用な殺生をなさるが、まあ、今日びの娯楽映画ってあんなもん?


9日間で、顔はそっくりだがまったく別の人間になりきらなくちゃいけないなんて、いや、なってはじめて物語は進行するわけでさ。

あたしはさ、映画の登場人物の向上心を見るのが結構好きだってわかった。

彼はさ、到底理不尽なCIAのこの要求に、やだやだっていいながら、自分の向上心っていうかさ、それほどご大層なものじゃあないんだけど、そういうところが見えるわけ〜。

するとね、がんばれよって思うわけ。

だからまあ『トリプルXXX』も、いつか見るかもしれないんだけど、昨日はこっちを見といて正解だったかな。


ったくよ、映画館が2つしかないなんて……。



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レクター博士  




2002年11月11日(月)



 「ご主人さま」


夫の取引先の関係の奥方が趣味で開いた個展に行く。

楠田枝里子似のすらりとした奥さまで、とてもこの夏「お祖母さん」になったとは思えない。


作品は本人はファブリックアートと呼んでいるが、刺繍やアップリケを大きな絵画風の作品に仕上げたもの。

今もやってるかどうか知らないが『クロワッサン』の「黄金の針賞」にでも応募するような路線のものだ。


ギャラリーは2F。
階段を昇って行くと地味な黒地のお着物にざっくりとした織りの半幅帯を締めて、嫣然と微笑む「先生」が奥にいらした。

やはりハイソな方からはオーラが出てる。

そうか、やっぱりな。
50代になったら、普段も着物よ。


「今日はおきものなんですね」というと

「だってほら、ムスメが……」

そうだった、お嬢さんが北陸の呉服問屋にお嫁入り。
実家の母たる彼女にできることの中で一番喜ばれるのは、ムスメの嫁ぎ先からばんばんお着物を買って差し上げることなんだそうな。


帰り際「ご主人さまにも、どうぞよろしく」と頭を下げて言われ、ああ、そうそう他人はそりゃあ「ご主人さま」と呼ぶでしょうよ、となんとなく可笑しい。


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ご主人さまって呼んでますか?  






2002年11月12日(火)



 めざせベスト10!

いはらにお歳暮を贈った。

うふ。なんかうれしい。


* * * * *



ベスト10入り目前。


愛読者の皆様に深く感謝。

今日も一日、よろしくお願いいたしまする。


* * * * *


と、ここまで書いて更新したら、ランキングも更新されてて、11位から15位にdown。

あっは。

めげない。


* * * * *


いはらから、お歳暮到着のめる。

しかもしかも、目をつけてた品物だったとのこと。

何があっても、めげない。
たとえめげても、素早い立ち直り。


うっふ。


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がんばれ>りり  




2002年11月13日(水)



 オンナの怨念

今、書店に並んでいる今月号の『VISIOmono』で、アンティーク着物の特集が組まれている。

最近はのんびり本屋で立ち読みする暇もないが、ひょっと通りかかったら視野に表紙が飛び込んできたのだ。

巌本野ばらがコーディネートした写真も何枚か掲載されているが、今年はよく似たMOOKを一冊買っているので、立ち読みしただけにする。


アンティーク着物、とはいえ古着は古着。

これについては賛否あるだろうな。


安くて存外popなものがいくらでもあるが、どこの時代のどんなオンナの人が袖を通してその後手放したのかわからない着物を着る勇気は……あたしにはない。

ような気がする。

没落貴族の奥方や、お嬢さまがたが窮乏生活の果てに、泣く泣く手放した着物だってあるだろうし、やっぱり着物にはオンナの怨念がこもっているはず。

「怨念」は言い過ぎだとしても、なんかこう「気」を感じないか?

あ、自分の知ってる人から譲ってもらうのは、全然おっけー。


取引先の百貨店にはもう「呉服売り場」はかろうじて存続してても、反物自体がもうそこには、ない。

リサイクルきものショップがそのかわりにある。

古着じゃなくて、アウトレットになるのかな? 新古品の帯なら買ったことがある。
ひとえの無地の博多帯で\10,000だった。

古着屋ってのは、もっと安い。


その昔、テント芝居をやってたころ、みんなで衣装の買い出しによく古着屋に行った。
今みたいに若者向けの「古着屋」がブームになる前の、ほこりっぽい大衆演劇みたいな古着屋。

婚礼衣装の内掛けのちょっとすすけたようなのでも、1000円程度で買えるから、わーわーきゃあきゃあいいながら選んだものだ。

舞台用の衣装だからね、全然気にせずに着たさ。


『VISIOmono』見ながら思ったんだけど、こういうふうに流行してんのって東京のことでしょう?
田舎もんには、ちょっとなあ、です。



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アンティーク  



ちょっとボタンのタグを載せてる日記があったので拝借してきた。

全角と半角が混じってることについて、ちょっと悪口を書いたところ、「そのままだと、タグとして認識されてしまうので、わざとじゃないです?」という指摘を読者さまからいただいた。

きっとそうだ。ごめんね>書いた人。


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2002年11月14日(木)



 長襦袢萌え

こないだ初めて自分で見立てたきものを自分のお金で誂えた。

今まで着物の管理はずいぶんと母の世話になっていたし、母のものも全部もらった。


これからは自分の管理下におかねばならん。

もう袖丈一つとったってなんかもうぐちゃぐちゃ状態で、裄丈違えば、この組み合わせで着ようって自分じゃ思ってたって、はみ出ちゃって、もう〜、奥さん、たいへんなんスから。


で、普段着によく着たセルの長襦袢がある。
お針の稽古をしている若い子が、生地代だけで練習用に縫ってくれたんだが、これがひどく虫に食われてしまって、人前でゼッタイ脱がないのならいいけど……。

ほら、ねえ、Mやってっと人前で長襦袢姿になることだって、ないわけじゃない。

むしろ、おおいに、ある。


よそ行き用の正絹の長襦袢は今年の春にこしらえた。
夏物のさらしの襦袢は去年、3枚作ったし、普段着もいるよね。
作ろうかの。

呉服屋の奥さんいはく「セルなんてもうどっこにもありませんよ。ポリエステルはいかがです?」

「はあ、じゃあ、それで……」

生地代だけで、\19,800.

半襟は金茶の無地に刺繍入り、ポリエステル \1,200のを別の店で買って来てつけてもらう。
黙ってると白い正絹で\3,000の半襟がついてしまう。


長襦袢はこれで完璧。

あとは懸案だった袖丈、裄丈を徐々に統一規格にしていく計画の推進。

出来上がってきた長襦袢と今度着る予定のきもの(お直し済み)の入った箱を抱えて実家に行くと、そこにははあはあと肩で息してる親がいた。

はあはあ、はあはあ、杖をつきつき、仏壇に供えるものをえっちらおっちら準備してござった。


もう、毎日まいにち、ほとけさんのことしかアタマにない。

年金のほとんどは、ほとけさんのために使っちまう。

生活費はわたしが出してやらなきゃならん。

ほとけさんがすべてに優先してしまう生活について、わたしは一言も文句を言わない。
まあ、もう少しのことだから。


わたしの収入は低い方ではない。

ばばあ一人の生活の援助くらいは、できる。


だけど、たまには贅沢もしたい。

海外旅行に行くわけじゃなし、ブランドものを買い漁るわけじゃなし、外車にも乗ってないし、衣食住の範囲内での贅沢なら、あり、じゃん。

ばあさんは、わたしにもほとけさんへの供養のための現金を供出させたくってたまらない。
ほとけさんのために使うのでなくして、いったい何に使うんだ。
どんなに贅沢をしたって、そんなところに幸福はない、と母は思っているはず。

着物こしらえる金はあって、なんでほとけさんのための金が出せないんだって、本当はあたしを責めたいのだ。

自分がしているように、爪の先に火をともしてでも、ほとけさんに尽くす生活こそが幸福だとなぜ思えない? 問い詰めたくてたまらないのだ。


そんなこと言われてたまるか。

やだね、それだけは。

文句もいわず、口ごたえ一つせず、やりたいようにやらせてやってるじゃないか。



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おやおや  




2002年11月15日(金)
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